能登半島地震で、被災した家屋から出る壊れた家具や家電などの「災害ごみ」の受け入れが石川県内の一部の自治体で始まっている。一方で、半島北部では被災家屋の解体や片付けが停滞。ごみの搬出が進んでおらず、「1月1日の夕方から街の景色が変わっていない」(珠洲市の泉谷満寿裕市長)との声も上がる。
能登半島の中央に位置する穴水町は18日から、災害ごみの受け入れを始めた。初日からごみの仮置き場には住民が次々と車をつけ、茶わんやタンス、時計など、壊れた家財道具を積み上げていた。
町は、ふだん出るごみの30年分にあたる災害ごみが発生したと推計。町の担当者は「別の仮置き場が必要になる可能性もある」と話す。
隣の七尾市の仮置き場には連日、壊れた家財道具を積んだ車の列ができている。自宅が半壊した会社員女性(47)が災害ごみを持ち込むのは3回目だ。「片付けが終わらず、先が見えない」
県によると、20日現在、8市町が災害ごみの受け入れを始めた。
一方で、被害の大きい能登半島北部の輪島、珠洲、能登の3市町では、災害ごみの搬出はほとんど進んでいない。大型車両が入れず、多くの倒壊家屋もそのまま。市町は仮置き場やその後の搬出先探しに追われている。
珠洲市宝立町の鵜飼(うかい)地区。20日朝、海沿いの旧道ではトラックなどが来た道を次々と引き返していた。
倒壊家屋などが道をふさぎ、乗用車1台ほどの道幅しかない。生活道路も倒れた電柱や家屋がふさぐ。住民らは、がれきのすき間を見つけて慎重に足を運んでいた。
住民の石橋三喜夫さん(80)は「幹線道路だけでなく、生活道路も開通させないと壊れた家財道具も運び出せない」。
住民らが除雪用のショベルなどを使って開通させたところもあるが、「大きな家屋は自分たちではどかせない。地震から3週間が経っても先が見えない」と訴える。
珠洲市は、全約6千世帯の半数が全壊したと推定。解体などが始まれば、膨大なごみが出る見通し。市内では、震度6強を観測した昨年5月の地震で倒壊した数百棟の家屋の撤去も終わっていないという。
半島部で平地に限りがある中、仮設住宅や災害公営住宅を建てることも予想される。市関係者は「土地の取り合いになる可能性がある」と話す。
20日に被災地を視察した馳浩知事は、災害ごみの処理について、仮置き場への運搬、仕分け、最終処分の3段階のプロセスが必要との認識を示した上で、まず倒壊した自宅で「どうしても探しておきたいもの、ご家庭にとってなくてはならないアルバムなどを確認していただいてとなる」と語った。また、大型車両が入れない現状に触れ、「交通規制しないと復興の仕事がはかどらない。復興が遅れたら、(2次避難した人らが)ふるさとに帰れる時期が遅れる」とも述べた。
輪島市は家庭ごみの収集を15日から再開した。ただ、被災した処理場の再開のめどは立たず、場内にごみを保管したままだという。壊れた家財道具などは自宅での保管を呼びかけている。災害ごみの仮置き場の場所や広さも決まっていない。
識者「半島特有の困難さがあるだろう」
過去の震災や水害でも災害ごみの処理をめぐって様々な問題が生じた。
2016年4月に起きた熊本地震の災害ごみは311万トン。熊本県全体で出る一般廃棄物の約5・5年分に相当する量だった。
ごみステーションなどでごみが車道まではみ出して車の通行の妨げになったケースがあったほか、短期間で仮置き場に大量のごみが運び込まれ、車の渋滞やごみの不適切な分別、容量超過といった課題が続出。一時的に搬入を制限する事態にもなった。
熊本県外の自治体の協力も得て、処理が完了したのは約2年後だった。
約200万トンの災害ごみが出た18年7月の西日本豪雨でも、ごみの搬送の人手が不足したり、不法投棄が相次いだりするなどの問題が噴出した。
今回の地震はどうか。
京都大防災研究所の牧紀男教授によると、11年3月の東日本大震災では大型車や鉄道コンテナで東京などに運ばれた。ただ、能登半島に貨物駅はなく、土砂崩れなどで大型車が通れない道路も多いとみられる。「能登半島特有の困難さがあるだろう」と言う。
その上で牧教授はまず、倒壊した家屋がふさいでいる道路を空けることが重要だと説く。そのためには業者の確保も課題といい、「解体に時間がかかれば仮住まいが長くなり、地域を出ていくことも懸念される。迅速に進めるには、阪神・淡路大震災の時のように、地域でまとまって同じ日に一斉に解体するのも一つの手だろう」と話す。
からの記事と詳細 ( がれき「1月1日のまま」 能登地震、災害ごみの搬出進まず:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル )
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