瀬戸内海の豊島(てしま)(香川県土庄町)で起きた日本最大級の産業廃棄物不法投棄事件は業者摘発から33年目を迎えた。産廃処理など一連の事業は3月に終了したが、破壊された自然が元通りになったわけではない。自然の再生への取り組みは平成12年の公害調停成立後から続けられているが、今年2月には、活動に賛同したタレントの井上咲楽(さくら)さん(23)が島を訪れ、環境保全ボランティアとして地元の小中学生と植樹を行った。井上さんは「壊すのは一瞬だが、直すにはものすごい努力と時間がかかる」と話す。島では風化が懸念されるなか、長期にわたる植生回復活動を若い世代へどう引き継ぐのかが課題となっている。
初めて知り衝撃
91万3千トンもの産廃が不法投棄された豊島の現場周辺は表面の土砂が剝ぎ取られ、土壌や地下水が汚染された。
調停成立を契機に自然回復を目指す動きも始まり、住民側弁護団長だった故中坊公平弁護士と建築家の安藤忠雄氏が呼びかけ人となり、NPO法人の瀬戸内オリーブ基金が設立された。
これに、ユニクロなどを展開するファーストリテイリングのトップ、柳井正氏が現場を視察し、翌13年から協力している。店頭募金累計は令和2年末時点で約3億4725万円にのぼる。社員ボランティアは16年から本格化させ、新型コロナウイルス禍前の令和元年まで年4~5回ペースで延べ1500人以上が参加。島内に植樹したオリーブの手入れや下草刈り、収穫などを行ってきた。
今回、井上さんは3年ぶりとなった同社の社員ボランティア活動に参加した。
現場近くにある資料館では、特殊加工した産廃の断面や事件年表などの展示を見学。廃棄物対策豊島住民会議の安岐正三事務局長(72)から説明を受けた後、整地作業中だった現場へ向かった。
植樹を前に、人為的に破壊された生態系の修復方法を研究する岡山大学大学院の嶋一徹教授から講義を受けた。嶋研究室では平成27年から現場周辺の植生修復に着手し、地元の小中学生とともに自生のコバノミツバツツジを植樹している。
井上さんは「初めて知り衝撃的だった。あの更地にに何十万トンもの産廃という光景は想像もつかない。住民が一生をかけて解決に努力している話は聞くのがつらかった。人の前に立つ者として、ここで聞いた話、現場で感じたことをSNSやメディアなどで発信し、一人でも多くの人に知ってもらい二度と起こさせないように」と話していた。
香川県の処理事業節目
産廃問題の発端になったのは、移住者による虚偽の産廃処理許可申請だった。昭和50年代前半から、自動車解体で出るシュレッダーダストや廃タイヤなどの有害廃棄物を約28ヘクタールの所有地へ大量に搬入し、野焼きなどをしていた。
平成2年になって兵庫県警が業者を強制捜査。香川県は許可を取り消し廃棄物撤去の措置命令を出した。有罪判決を受けた業者は破産し、産廃撤去は税金で行われることになった。
住民側は5年11月、公害調停を申請。6年半かかって、12年6月に当時の真鍋武紀知事が豊島を訪れて島民に直接謝罪し、県との調停は成立した。
その後、地下水の浄化なども進めて整地も行い、今年3月に20年に及ぶ事業は終了した。3月30日、池田豊人知事は現地を初視察し「地下水の浄化作業を県が主体的に最後まで取り組む」と表明した。
子孫へ事件継承が課題
県の事業が終了し、次は住民への土地返還条件の地下水環境基準(飲用可)を自然浄化により目指す段階に入った。ただ、専門家によると、10年以上かかる可能性もあるという。
豊島は「ごみの島」「毒の島」といわれ、激しい風評被害や経済的損失を被った。調停成立時に約1300人だった人口は6割以下になり、調停申請の住民549人のうち400人以上が亡くなったという。
廃棄物はなくなったが自然環境の修復は長期に及ぶ。住民が恐れるのは事件の風化、「終わったこと」と認識されることだ。
安岐事務局長は「経緯を記録に残す▽伝えていく▽修復活動を実践する-を同時並行で進める必要がある。資料館の展示をリニューアルしたのも記憶より記録を残すという考えからだ」と話す。
昨年からは地元の子供たちの資料館見学も始めた。「申請者一覧を見て祖父が申請者と初めて知った子供がおり、子孫の代へ継承がうまくいっていない面もみられる。植樹に参加し、事件についても正しく知ってもらい、しっかりと受け継がれるようにしたい」と話していた。(和田基宏)
からの記事と詳細 ( かつて「ごみの島」と呼ばれた豊島 タレント・井上咲楽さんが見た国内最大級産廃事件の傷跡 - 産経ニュース )
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