一九六〇〜七〇年代に東京都杉並区の清掃工場建設を巡って住民と東京都などが争った「東京ごみ戦争」を学ぼうと、同区の高井戸中学校の生徒が関係者を取材し、「新聞」を作った。同区の区制九十周年事業の一つで、近日中に新聞をホームページで掲載するほか、生徒の取材過程を追った動画を「YouTube」の区公式チャンネルで公開する。(原田遼)
同校はごみ戦争の舞台となった杉並清掃工場から約五百メートルに位置する。区の要望を受け、取材参加者を募ったところ七人が手を挙げた。七人は、親が建設の反対運動をしていた高井戸町会長の内藤博孝さんや、杉並清掃工場の職員、当時杉並区と対立していた江東区の職員らにインタビュー。争いの歴史や生徒の感想を記事でまとめた。
ごみ戦争は高度経済成長期、急増する都内のごみの大半を未処理のまま引き受け、埋め立てていた江東区で環境悪化が深刻化したことが発端。都は六六年に高井戸に工場建設を発表したが、地権者らが抵抗し、計画が頓挫した。これに江東区が反発し、杉並区からのごみの搬入を拒否。杉並区内で街に未処理のごみがあふれる事態となった。
取材に参加した谷尾心瑚(ここ)さん(二年)は「今は街はきれいなのが当たり前だけど、昔はごみ戦争という形で争いがあったことに驚いた」と振り返る。
七四年、都が工場を環境に配慮した最新鋭施設にすることを約束し、住民と和解。高井戸に工場が建った。西山康太さん(一年)は「都と住民が最後に握手している写真が印象的。意見は食い違っていても、協議を重ねることが大事だと感じた」と話す。浜口桃子さん(二年)は「今も環境問題はよく話題になる。昔の人がきれいにしてくれた地域を自分たちも将来につなげていきたい」と誓った。
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