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Saturday, December 31, 2022

展示物はなんと「ごみ」、海岸で拾ったプラごみの博物館がエモい - ナショナル ジオグラフィック日本版

1970年代初頭に作られた日焼け止めのプラスチックボトル。何十年も海を漂った後にイタリアの海岸に打ち上げられ、アーキオプラスチカ博物館の収蔵品になった。(PHOTOGRAPH BY ENZO SUMA, ARCHAEOPLASTICA)

1970年代初頭に作られた日焼け止めのプラスチックボトル。何十年も海を漂った後にイタリアの海岸に打ち上げられ、アーキオプラスチカ博物館の収蔵品になった。(PHOTOGRAPH BY ENZO SUMA, ARCHAEOPLASTICA)

 4年前、エンゾ・スーマ氏が南イタリアの自宅近くの海岸を歩いていたとき、日焼け止めローションのボトルが落ちていた。ボトルを手にとると、興味深い文字がスーマ氏の目にとまった。はっきりと印刷された金額の単位はリラだった。2001年にユーロに変わる前のイタリアの通貨だ。プラスチック容器が地中海で20年近くも無傷でいられるものだろうか、と不思議に思った。

 この日以来、海岸に打ち上げられたごみを拾って歩くのが、カイトサーフィンを愛するスーマ氏の習慣になった。現在40歳のこの自然愛好家は、アドリア海に面した長い海岸線をもつプーリアで暮らしている。ごみは外洋に流れ出すと広く散らばりがちなのに対し、地中海のこの比較的閉ざされた場所ではたまりやすい。とりわけ冬の大嵐の後はごみが多かった。

 あとで調べてみたところ、最初に拾ったボトルは、実際にはもっとずっと古いものだった。ネットオークションサイトのイーベイで見つけた出品から、1968年から1970年の間に製造されたものであることが判明した。これが「アーキオプラスチカ」に収蔵された最初の遺物となった。

 アーキオプラスチカはすべてイタリアの海岸で回収された500点の遺物を集めたインターネット上の博物館で、プラスチックごみが環境の中でどれほどの耐久性を持つのかを、見る者が不安になるほどはっきりとわからせてくれる。同時に公の場での展示も行っており、近いところでは、ナショナル ジオグラフィックが「地球か、それともプラスチックか?」キャンペーンの一環としてイタリアの博物館テアトロ・マルゲリータで行った企画にも参加した。

アーキオプラスチカ博物館の創設者で学芸員のエンゾ・スーマ氏と、その所蔵品の一部。(PHOTOGRAPH BY ENZO SUMA, ARCHAEOPLASTICA)

アーキオプラスチカ博物館の創設者で学芸員のエンゾ・スーマ氏と、その所蔵品の一部。(PHOTOGRAPH BY ENZO SUMA, ARCHAEOPLASTICA)

「プラスチックが500年ももつことは、みんな学校で教わっています」とスーマ氏は話す(実際、ポリスチレン容器は800年も経たないと分解しないと見積もられており、ペットボトルの一部は1000年以上ももつ可能性がある)。「でも実際に自分の目で、30年、40年、50年前に自分が使ったかもしれない製品が今も完全に無傷でいるのを見るのは、まったく別のインパクトがあります。感情に訴えるのです」

 スーマ氏は、厳選したアーキオプラスチカの収蔵品を、地元オストゥーニ周辺の学校でも展示している。「多くの子どもにとって、これらは自分の親やおじいさん、おばあさんの年と同じくらい古いものです。ごみというより、考古学的遺物に近いでしょう」

「ものごとのあまり美しくない側面」

 イタリア、ベネチア大学で環境科学を学んだスーマ氏は、写真撮影の技術を生かして、各プラスチック遺物のデジタル3次元モデルを作成している。博物館が古代ギリシャやローマの壺を記録するのと同じ方法だ。現在、60点のモデルをアーキオプラスチカの仮想博物館で見ることができる。

 収蔵品の中で最も古いものは、「モプレン」のロゴが型押しされた、1958年に作られ始めたボトルキャップだ(編注:「モプレン」はポリプロピレンの製品名)。特許で保護されたポリプロピレンの登場はプラスチック時代の始まりとなり、製法を発明したイタリアの化学技術者ジュリオ・ナッタは、1963年にノーベル化学賞を受賞した。

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