
---------- 地方の過疎化と少子高齢化にともない、近年、急増している「無縁墓」。満足に世話のできない遠方の墓を持てあまし、元気なうちに「墓じまい」をする人も多いという。しかしもともと日本人は「仏壇」が供養の場であったと、著書『「墓じまい」で心の荷を下ろす』を出版した、宗教学者の島田裕巳氏は語る。それではなぜ、墓は生まれたのか。墓参りの習慣はどのように広まったのか。島田氏に解説していただいた。 ---------- 【写真】死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い
火葬の普及で「墓」が生まれた
墓がたんに遺骨を収納する場所であるとするなら、話は簡単です。生活に便利なように、場所を移動する、つまりは(遺骨を新たな墓や納骨堂に納めなおす)改葬することも勝手に行えばいいのです。 しかし、墓が礼拝の対象になっているため、そこにはさまざまなことがかかわってきてしまいます。 一般の庶民の家でも、墓を建てるようになるのは、火葬が普及してからのことになります。 土葬の場合、棺桶に入れた遺体を埋葬します。棺桶には、座ったままの姿勢で遺体が納められる「座棺」と、寝た姿勢で納められる「寝棺」とがあります。現代の火葬で用いられるのは寝棺です。 どちらにしても、棺桶は木製ですから、埋葬して時間が経てば、腐っていきます。それは遺体についても言えます。遺体も棺桶も朽ちていくので、その上に盛った土は、時間の経過とともに陥没していきます。 私は、1980年代のはじめに山梨県内の山村で行われた宗教についての調査に参加しましたが、その村では土葬でした。 村に一軒ある寺は村の共同墓地に隣接していて、村の人たちは亡くなるとそこに葬られることになっていました。葬ったところは、たしかに陥没していました。
「仏壇」が供養の対象だった庶民
そうした状態になるので、その上に石塔を建てるわけにはいきません。目印として木の墓標を建てるだけです。 民俗学では、こうした墓のことを「埋め墓」と言い、それとは別の場所に詣るための墓を設けたものを「詣り墓」と呼びます。その村でも、詣り墓が別にありました。ただ、調べてみると、古いものであれば、「親分」と呼ばれる村の中心的な家の墓が大半を占めていました。 つまり、詣り墓を造るのは村の有力者の家だけで、一般の家では、埋め墓に埋葬して、それで終わりだったのです。どの家にも墓があるわけではなかったのです。 そうなると、亡くなった人は供養されなかったのでしょうか。墓がなければ墓参りもできない。今ではそのように考えられることでしょう。 そんなことはありませんでした。 そうした時代には、墓で先祖の供養を行うのではなく、それぞれの家にある仏壇が供養の対象になりました。どの家でも墓を造り、墓参りを行うというのは、火葬が普及してからの習俗なのです。
からの記事と詳細 ( 日本人はもともと「仏壇」を供養していた…意外に浅い「墓参り」の歴史(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース )
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